弦楽合奏曲解説(第9回定期演奏会)
モーツァルト ヴァイオリン協奏曲第5番(トルコ風)
W.A.モーツァルト(1756 −1791)
ザルツブルクでの幼・少年期、モーツァルトは多くの年月を旅に過ごしました。それは一面過酷な日々でしたが、しかしそれなくしては比類なく美しいかれの音楽は生まれなかったでしょう。当時ヨーロッパの音楽は大きな転換期にあり、通奏低音がすたれ活動的な主旋律を中心とした古典様式が確立されようとしていました。そうしたなかモーツァルトが旅の行く先々で新しい音楽を吸収することができたのは、かれの音楽が地方性や民族性を越えて全ヨーロッパ的音楽として花開くことを可能にしたのです。
1775年、19歳のモーツァルトは5曲のヴァイオリン協奏曲を作りました。1番から5番までの道のりはこの領域における古典派の成熟過程を示すものです。5番の第1楽章はソナタ形式にのっとりますが、管弦楽による提示部のあと、独奏ヴァイオリンがゆったりした歌謡風の旋律をかなでながら登場し、明るく活気に満ちた第1主題へと続きます。第2楽章だけはホ長調でこれもソナタ形式にのっとり、伸びやかな第1主題と、同様静かで優美な第2主題に導かれた繊細で優雅な楽章です。第3楽章は3/4拍子の軽やかでしかも典雅なロンドです。途中、この曲の標題「トルコ風」が由来するどこか憂いを感じさせるイ短調2/4拍子の音型と交替し、最後はもとへ戻ってメヌエット風に終わります。
バルトーク ルーマニア民俗舞曲
B. バルトーク( 1881 −1945 )
バルトークは1881年生まれのハンガリーの作曲家、ピアニストですが、また民俗音楽の収集・研究者です。
当時ハンガリーではオーストリア皇帝の支配のもとにあって、ハンガリーの独立とその文化の独自性を主張するナショナリズムの運動が起こっており、バルトークも1903年にはハンガリー独立運動の英雄を讃えた交響詩「コシュート」を作曲して名声を博しました。民謡の収集・研究もナショナリズムの運動に触発されたもので、古くからハンガリーで歌われていたルーマニア民謡の収集などに力を注ぎました。バルトークの音楽に特有なリズムの激しい力動感もそうした研究の結果得られたものと思われます。
「ルーマニア民俗舞曲」は1915年ピアノ曲として作曲され、翌々年A.ウィルナーによって弦楽合奏用に編曲されました。素材はルーマニア民謡で7つの舞曲を用いた7曲からなる組曲です。組曲はバルトークにとって交響詩とともにナショナリズムを表現するための有効な手段でした。
第1曲は棒でつくようなリズムに乗った田舎風の舞曲です。第2曲は軽快で明るく、第3曲はなにか寂しげです。第4曲はゆったりしたテンポの叙情的な旋律で、第5曲はそれとはうって変わってリズミックでスタカートの激しい舞曲です。第6曲と第7曲はともに急速な舞曲で華やいだ気分にさせてくれます。
グリーグ 二つの悲しき旋律 Op.34
E.H.グリーグ(1843 −1907)
グリーグはスウェーデン支配下にあったノルウェーで生まれ育ちました。ライプツィヒ留学でドイツ・ロマン主義の影響を受けましたが、帰国後祖国の民族主義運動の影響を受けるとともに、ノルウェー各地の民謡に親しむことを通じて、自分の進むべき道を国民音楽に見出し、やがてノルウェー国民主義音楽を代表する作曲家となりました。その音楽はノルウェー人の北欧的感性をロマン主義の叙情性と融和させたものといえます。
1880年グリーグはノルウェーの農民階層出身の詩人A.ヴィンイェの詩による歌曲集をおおやけにし、翌年そこから2曲を弦楽合奏用に編曲して、「傷ついた心」と「過ぎた春」として発表しました。注目すべきは楽器編成で、通常の5部編成とは異なり、コントラバスを除き各楽器群は最初からあるいは途中から2分され、豊かな構成の9部となります。それらは2曲とも単純な形のなかに限りないまでの深い情感をたたえ、北欧の淋しい詩情が溢れていて人々に広く受け入れられて来ました。グリーグ自身も大変愛着をもっていたと思われ、ヨーロッパ各地でみずからそれらを指揮して人々に深い感動を与えました。また楽譜に指示された綿密な弓使いはかれ自身によるものですし、音の強弱のダイナミズムについてのこまやかな段階づけもかれ自身によるものです。
芥川也寸志 弦楽のための三楽章[トリプティーク]
芥川也寸志(1925 −1989)
芥川也寸志は1925年東京に生まれ、1950年「交響管弦楽のための音楽」で広く世に知られるようになりました。作品は概して伊福部昭、ハチャトゥリアン、またショスタコーヴィチの影響が指摘され、生命力にあふれた躍動的なリズムが特徴的です。純音楽以外でも映画音楽の領域など幅広く活躍するとともに、うたごえ運動や新交響楽団の育成・指導など大衆音楽運動にも積極的にかかわりました。
「弦楽のための三楽章[トリプティーク]」は1953年クルト・ヴェスの委嘱で作曲されました。「トリプティーク」とは三幅画のことで、三つの楽章がそれぞれ独立しながら構成や楽想の共通性によって曲全体に統一性があることを意味しています。第1楽章では冒頭から全奏で躍動感あふれる力強い旋律が呈示され、そのあとその変奏がくり返されます。この旋律は第3楽章でも用いられています。第2楽章は「アンダンテ 子守歌」と標記され、土俗的で感傷性をもった叙情的旋律が弱音器をつけたヴィオラでゆったりとかなでられ、やがて低音のピチカートにのって別のモティーフが現れ、これら2つの旋律がくり返されます。第3楽章では再び活気あるリズムが展開され、日本の伝統的な祭りの音楽が想い起こされます。